2021年7月11日、ロックバンドのORANGE RANGE(オレンジレンジ)が20周年ライブ「一日千秋”楽”」を山口県のKDDI 維新ホールで開催しました。
ライブでは『以心電信』『イケナイ太陽』『お願い!セニョリータ』など代表曲を披露し、ファンはリズムに乗るなどして大いに盛り上がっていました。
オレンジレンジのライブには私も参戦したことがありますし大好きなアーティストです😀
ですが
でもオレンジレンジって消えたんじゃないの?
という話を友人に言われました。「え?音楽番組とかけっこう出てるのに・・」と突っ込みそうになりましたが「テレビでの露出が減った=オレンジレンジが消えた」と錯覚している人って意外と多いんですよね。
音楽番組には毎年出ていますし
テレビ出演が減ったから消えたって誰かに言うのはひどいな~
と思ってたんですが
今回はあえて「オレンジレンジはなぜ消えたのか?露出が減った原因」について解説していきます。
オレンジレンジはなぜ消えた?その理由は・・・
消えたと言われるようになったのにはいくつかの理由があります。
消えたと言われる理由①:沖縄ブームの終焉
イントロ紹介104曲目!本日は【HY エイチワイ】で【366日】演奏は高良尚先生です。
2000年代初頭はモンゴル800やHYなど、沖縄出身そしてメジャーではないインディーズが注目を集めました。
当時は音楽の発信、売り方やかかわり方など、新世紀と共に目まぐるしく変化していくのを感じました。 pic.twitter.com/wYQotSSgFt— 鍵盤技塾@横浜のポピュラーピアノ教室 (@kenbangijuku) May 29, 2022
オレンジレンジが活躍していた2000年代初頭は、沖縄出身のアーティストがたくさん誕生した時代でした。
モンゴル800やHY、Kiroroにかりゆし58と全国区クラスの歌手がデビューしたのもこの時期で、注目度も非常に高かったです。
当時の沖縄バンドたちはライブハウスでのイベントやライブを中心に活動していましたし、沖縄ブームの影響もあって多くの人が集まっていました。
ですが、2008年のリーマンショックやネットの発達により娯楽の多様化(ライブ以外での音楽の楽しみ方)と時代が変化していくなかで人もお金も分散していきましたので
2000年代初頭のようなエネルギーは生まれなくなりました。
消えたと言われる理由②:メディア出演の減少
2000年代前半には最盛を誇った(売上的には2004年がピーク)オレンジレンジは多くの支持を得ていましたが、近年はあまりテレビに出てないという事実はあります。
ただ、まったくテレビに出てないという訳ではなく少数ですが出ています。
一部紹介しますが
・2018年11月うたコン
・2017年ぱりぴTV
・2016年MUSIC FAIR
などの番組でテレビに出演しています。
たまたまテレビつけたら
Mステにオレンジレンジ!?
しかも花歌うん!?
オレンジレンジ世代だから嬉しすぎ😂— シューマイ@(¬з¬)ライブそろそろ行きたい欲 (@Y_M_W_MG) February 1, 2019
オレンジレンジ…テレビからライブに切り替えたから知らない子多そうだなと…懐かしい。今でも活動はめっちゃしてる。
以心伝心と花はもちろんなんだけど、やっぱアスタリスクがすげー好きなんだよな。— おとのろ (@otonoro23) October 2, 2020
「テレビによく出ている=売れている」という訳ではありませんが「オレンジレンジって消えたの?」と錯覚されるのにも理由があります。
消えたと言われる理由③:音楽性・方向性のシフト
最近の記事で「オレンジレンジがテレビからライブにシフトした理由」について取材しているものがありました。
以前のようにテレビや映画、CMなどで見聞きすることは少なくなりましたが、現在もライブ中心に精力的に活動を続けている点について触れてますし更にバンドの方向性についても葛藤してる時期があったようです。
《一部抜粋》《肥大化する「ORANGE RANGE」、増え続ける「大人たち」の要求》
20代前半にして手に入れたケタ違いの人気――。
次々と新曲を作りながら大都市ツアーもこなさなければならない。予算やスタッフの数、寄せられる期待、映画やドラマ、CMなどのタイアップ、気づけばORANGE RANGEに関わるすべてが大きくなりすぎていた。
好きなことを自由にやる、そんな姿勢にも変化を求められた。
「タイアップだと、もちろん『こういう曲を作って』と言われます。作品に合わせて『泣ける曲を作って』と言われることもある。もちろんそういった要望も聞きつつ、でも自分たちのやりたいことも通さないといけない。『花』とかは、そういう感じで学びながら生まれた曲です」(RYO)
ひとつひとつのことに向き合いつつも、楽曲作りだけではなく、バンド方針すらも5人だけですべてを決めることは難しくなっていた。
「当時『もっとグローバルに発信したい』と思っていました。そのためにYouTubeで楽曲を公開したかったんですが、今のような時代ではなかったのでなかなか難しかったですね」(YAMATO)
こういった経緯があり2010年に自主レーベルを立ち上げ大手レコード会社から離れました。
今のオレンジレンジはインディーズに移籍ってか、自主レーベル立ち上げたから、売れ線( )意識する必要なくなって、バキバキハードコアな音楽やってっからなwwwwww
— yam (@MissMay_Y) November 16, 2013
まとめ
今回は「オレンジレンジはなぜ消えた?新しい道を選んだ理由」について解説しました。
皆さんは「メジャーレーベルからインディーズに戻った」・「テレビなどのメディア露出が減った」と聞くとどんなイメージがありますか?
売れなくなったからクビになったんでしょ
みたいにネガティブに捉える人もいるのではないでしょうか?
確かにそんなケースもありますし要因の一つにもなりえますがオレンジレンジの場合は自主レーベルを立ち上げてからの方がライブの回数が増えてますし海外にも積極的に進出しています。
「喜んでもらえるものこそが正義」と考えている彼らにとっては素敵な選択だったと思います☻
オレンジレンジ楽しそうに歌うなぁ、いいなぁヾ(*´∀`*)ノ
— わたなぺ (@vvbdmntnvv) August 12, 2016
会場、可愛い(*゚▽゚*)🏕🚩
アコースティックなオレンジレンジ楽しそう🍊晴れてて最高やん☀️ https://t.co/r8YlA6GG9n— まち-machi (@ashita9ashita) September 15, 2019
コメント
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